ベンチャーからの呼び声

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自分探しの答えは「専門性の先」にある

大学2年生の夏。私は、インターンとボランティアの経験を得るために、2週間というなんとも語るに半端な時間をカンボジアで過ごしていた。

なぜカンボジアだったのか、なぜツーリズム系のインターンだったのか。うろ覚えだが、面接官から意識高いと評価を得られる期待…という、ガードレール横の水溜まりよりも浅い理由だった気がする。

当然そんな浅瀬だったので、あちらの暑さにやられて二日目の午前中からバックレた。暑すぎたのだ。私を評価してくれる面接官の幻想は、浅瀬と共に蒸発しきっていた。


なにをやるでもなくふらふらとシェムリアップを漫遊したその午前、ふと目に留まったのは、和風ダイニング形式のオープンカフェで、いそいそとMacBookに打鍵するオーストラリア人だった。

カンボジアで和風ダイニングという時点で、私は白昼夢を疑った。ご丁寧にカウンターには獺祭や黒霧島といった、日本酒の人気銘柄が居酒屋さながらに並んでいたため、あからさまにシェムリアップの町並みから浮いていた。
裏路地の一角にある隠れ家的ポジショニングだったのが幸いしたが、おそらく大通りに面していたら「海外に来た感を台無しにしてくれるお仲間○ャップの店かナメやがって」と暴動になっていただろう。世紀末だからね、日本。


後から判明したのだが、そこにいたオーストラリア人は店主だった。なんでも日本で暮らした経験から、次に生活の拠点にする場所では居酒屋をやりたかったのだという。その結果生まれたのがこのシェムリアップの七不思議「どこの国にいるのかわからなくなるカフェ」の正体であった。とんだ玉突き事故である。


曰く、うちのそうめんはうまい。とのことで、わたしのそうめん初めはその年、カンボジアでの体験となった。すだちが効いていた、カンボジアなのに。

食べ終わる頃には、もう自分がどこで何をしているのかわからなくなっていた。不幸にもインターン先からの電話は、サイレントモードで気づくこともなく。ただひたすら、異文化のなかで迷子になっていた。


戻りしなに、ゲストハウスの待ち合いにいた何人かと仲良くなりその話をしたが、私が帰国するまでの二週間、誰もその店を見つけられなかった。

私も、もう一度その店を訪いたく探索をしたのだが、やはり見つかることはなかった。

ひょっとしたら現実にちゃんと存在した店なのだが、私にとってこの体験は、本当に「白昼夢」となってしまったのだ。


店主はプログラマーをしていたと本人から聞いた。本人といっても、もはや実在したかもわからない存在だが、ここでは「いた」し「聞いた」としよう。

なんでも、技術屋として裁量権を得られるほどには成熟し、スキルも整っていたため、憧れだった土地へ移転を決意したのだという。当時でも、リモートワークで企業には在籍していたのだという。

ひとつの領域、とりわけテクノロジーの世界で、自分を求められる人材として作り上げた、いわばプロフェッショナルになったからこその働き方なのだろう。どうりで人が来る気配のない店先でのんきな顔をしていたわけだ。



プログラミングの世界に限った話ではないが、プロフェッショナルとして「法人が頭を下げる」程度のスキルをもつ人間になると、社会のわたりかたが変わってくる。それこそ、給与は報酬制で、自分の言い値で。というフリーランサーも、中にはいるだろう。

それほどまでに突き詰めた領域を保持しておくことにより、どんな暮らしかたでもかなうのだという一例を示してくれたのが、私にとっては件のオーストラリア人であった。


どんな風に生きたいのか、という自分本来の望みを叶えるものは、やはり専門性から生まれるスキルといっても過言ではないだろう。その専門性をこそ、今後の能力採用時代における就活生が追うべきなのだろう。

自分探しとして海外にいくのはいい、だが度を過ぎれば、手の届かない、やりたい・なりたいばかりのルサンチマンになってしまう。お宝の地図ばかり探さずに、ひとつ地図を見つけられたら、スキルを獲得してみてはどうだろう。



あるいは、その先の目指すところとしての完成形こそが、かの店主だったのではないだろうか。そう思わずにいられない私は、いまだに自分探しが終わらないままである。