ブログと存在意義
身近な人間が始めたことを、自分も試してみたくなる人は多いだろう。どんなものでもそうだが、とりわけ私の場合は「ブログ始めてみた」という知人が多かった。
大学時代の同期ゼミ生からはじまり、先日オフをしたIT界隈の人間もアウトプットがてら…と自分の勉強のために始めたとのこと。ずいぶん熱心に更新をしていて驚いた記憶がある。
果ては父までもが、趣味のウィスキーとロッククライミングを語る場所として、会社では言えない(だれもコアすぎて聞かないとのこと)クライミングレポをしたため始めたのだという。
私の中では、一読者ではあったが、ブロガーという存在は縁遠いもので、きっと自分がなることはないと、別世界の摩訶不思議アドベンチャーぐらい遠いものであると決めつけていたのだ。
ではどうして、はてなブログでの解説に至ったのか。理由は貯めることもないような些細なものだ、というより、いくつかの小さな理由が介在し、自分の「やる・やらないライン」の数値がついに「やる」に振り切れたからだ。
私事だが、昨年度から出来た人生初の「推し」について、二度とその話を聞きたかねぇ、と言われるまで語れる場所はほしかったし、加えてITベンチャーのスタートアップにいる人間だからこその日々又聞きするやべー話など、誰かに伝えることでなにかの役に立ちそうな話を形に残す場所がほしかった。
加えて、会社の人間が広報変わりにブログを作ると聞いて「やっていればなにかのスキルになるのだろう」と打算的かつ見切り発車な期待があった。なんだったら私だってブログ収益はほしい。
つまり、「筆者の生活を拡張してくれるものなのだろう」と、多角的なポイントからひしひしと感じていたため、というのが総括された回答だろう。
発信する、文字に残す、読者のリアクションから益を産み出す…ブログというのは、そんな浅く広く、そして淡い期待を抱かせるツールなのだ。育てればなんかの実になるんじゃない?といくつかのフルーツの種をまとめて購入する感覚に似ている。もちろんそんな経験は私にはないが。
そこら辺は、私の属するIT領域に似ている。テクノロジーはつまるところ「あんなこといいな、できたらいいな」を叶えるものだ。そこに文字や数値の情報を掛け合わせるだけで、私たちの生活は飛躍的に快適になっている。
ブログとは、人間のあったらいいなぁ…という体験を叶えるための一番身近な技術なのだろう。生活にハリを持たせるキットなのだ、ある程度の知識と技術がなければ、見られたものを作るのが厳しいプログラミングとは、訳が違う手頃さだ。
普段、プログラミングに多少は触れる領域の人間だからこそ、そういった捉え方をしているのかもしれないが、私にとってはそれが真理であり、動機が揃った以上は、なんとなく始めてみるか!と指を動かすに十分な魅力をもったものなのだ。